私はダンスが踊れない 2

 前回のこのコーナーで、何故私がダンスを踊れないのか、その秘密を打ち明けるという予告をしてしまいました。でも、この間、稽古帰りの車中で伸さんにその理由を告白してしまったので、今さら改めてここに書き付けるのも気が引けてならないのですが、そうもったいぶるほどの秘密でも何でもなくて、ただダンスにつきものの、あのタイツ姿というやつにどうしようもない抵抗感を覚えていたからなのですね。
 ここで私は、ダンスとバレエをごっちゃに考えてしまっていたようなのですが、記憶のすり込みは恐ろしいもので、21歳くらいの頃、アングラ役者のくせしてどういういきさつからか参加してしまった渋谷ジャンジャンでのロックミュージカルで、主演男優が稽古中、長い足を見せびらかすようにタイツ姿で踊っていたのが妙に印象的で、典型的日本人体形の自分には縁遠い世界という諦念とともに、ダンス=タイツ姿にならなければならないという先入観を抱いてしまったようなのです。
 映画「ザッツ・エンターテインメント」を何度も繰り返して見るほどミュージカル好きでアステアやジーン・ケリーを尊敬してやまない自分自身が踊れない人間だと認識するのは正直辛いことでした。所詮自分はアングラ役者だからと世の中を斜に見る具合に拗ねたりして、全く子どもじみた具合なのですが、考えてみれば、当時テント芝居の華だった状況劇場の李礼仙をはじめとして、アングラ演劇界にもダンスの名手はたくさんいたわけで、言い訳にもなんにもなってやしないのです。(もちろん、咲かせる花の種類の違いや、背景となる世界観の違いが厳然としてあるのは確かなことです)
 次に私がダンスというものに近づいたのは、32,3歳の頃、「ゼプコ・マーケット」という劇団に参加した時のことです。「ゼプコ・マーケット」は明治大学で演劇をやっていた連中を中心に結成されたユニットで、そのうちの一人がアングラ時代の後輩だったという縁で参加することになったのでした。(私自身は明大に半年通っただけで除籍になっていますし、学年も開きがありますから、学校つながりという訳ではないのです)私が参加した頃は、さらに大阪芸大出身の若手が何人か加わってバラエティに富んだ布陣となっており、また、世の中もアングラ演劇はすでに相対化されて過去のものとなりつつありました。
 「ゼプコ・マーケット」で私は都合4本の作品に参加、最後の一本では自らプロデュースを買って出るほどの深い関わりを持つこととなったのでしたが、そのいきさつについては、また次回。

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